今日、取引のある不動産会社の社長さんがご来店されました。
いつも、大日本帝国海軍の帽子をかぶって来られる姿が、鉄道マニアのような人たちを髣髴させ、個人的に微笑ましく感じる方です。
ネットで探してみました。ありました。。こんなんです。
賃貸物件も所有されるので、入居の斡旋のことでお話しすることが多いのですが、今日は少し違っておりました。
“最近、耳が調子悪くて、両方の耳に補聴器を入れているんだけど、なかなか聞きにくくてね”と社長。
昨年から、耳の不調を話されていたのは聞いておりましたが、かなり聞き取りには苦労されているようでした。
“実は、今月一杯で不動産業も廃業しようと思っているんだよね。。”
“・・・・”
今年で77歳になる社長さんで、いつも面白おかしく自分のことを褒めてくれる社長さんなので、個人的に好きな方でした。
普通であれば定年を過ぎている年齢ですが、この年まで仕事を続けて来られた事、立派です。
私が言うと軽々しくなってしまいますが、それにしても立派です。
廃業。
華々しく開業するときとは、対照的です。。
事業が終わるときは、静かにひっそり過ぎ去りし過去を振り返りながら、終わるものでしょうか。
何となくさびしく感じます。
私も、その域に達するまで、あと34年あります。どんな世の中になっているのか想像できませんが、そのときに私の会社はあるでしょうか。
頑張ります。この社長さんのようにその年まで健康で仕事が出来ればいいなぁと思うところでしょうか。
ともあれ、ご苦労様でした。ささやかですが、労いの言葉お送り致します。
山田荘(帯広市東4条南27丁目)
最近の賃貸物件の名前は、横文字のシャレタ名前のものがほとんどです。
山田荘。
渋い物件名です。
山小屋みたいな名前の物件名です。
どうぞ、覗いてみてください。
詳細はここから。
2世帯しか入っていない、セミ一戸建てのような感じの物件です。
家賃も、いい感じです。4万円の賃料どうでしょうか。
滑り納め
雪があるうちに、スキーの滑り納め、強行しようと思っております。ははは。。
ついでにですが、雪が融けたらトマムの山売ってほしいというお客様の山もついでに見て来よう。山の現地調査ということで気兼ねなく行ってきます。週明け、予定の入っていない日を見計らって(火曜日がいいか。。)、会社で現地調査を同行したいスタッフを募って行きたいところでしょうか。
高速がつながったトマム。帯広から1時間弱。なんて思いながら、週末の来店対応(ピークかなぁ。。)頑張ります。
おすすめ賃貸物件、一戸建てです。
日中、雪が融ける様子をみながら、春近しという感がします。
卒業式シーズン、我々でいうところの年度末です。
何だかそわそわします。ありがたいことですが、電話が多いのも、そう感じさせるのでしょうか。
さて、さて、3月末に空く予定になっているおすすめの物件、ご紹介です。
平成20年築の新しい物件。一戸建て。
詳細はここから。
物件が空く前に、申込みが入りそうな物件です。興味のある方は、ご一報下さい。
緊急出動
1日があっという間に過ぎていきますね。
夜10時半。飯も食べたし、もう寝ようと思ったとき、電話が鳴りました。
携帯に登録のない番号からの着信。トラブルの電話かなぁと思いながら、体が勝手に“はい、池原です”って無条件反射。
ちなみに、夜7時以降の会社の電話は、留守電になりますが、私の携帯番号がアナウンスされるようになっています。
鍵を紛失されたお客さんからの電話でした。
“鍵を落としたので何とかしてほしい”。
幸いお酒は入っていなかったので、会社にその部屋のキーを取りに向かいました。人が困っているときの対応、いいもんです。
さすがに、会社は全員帰ったあとでした。夜11時近くだから当たり前か。。。
本来予備キーは、緊急時のために1本置いてあるのんですが、その鍵がない??
仕方ないので、会社からお客さんに、夜出動してもらえそうな鍵屋さんの電話番号を教え帰ってきました。
少々、不完全燃焼した感じですが、お客さん無事部屋に入れたでしょうか。
10年ぶり帯広で再会
3月1日。そう、始まりました賃貸業界の繁忙期の3月。
ネパールかぶれしています。。本日、一日、物件の案内しておりました。
信号機があり、道路標識があり、しかも平らな土地の帯広で、仕事が出来ること、すばらしいことです。
あのネパールの町並みが思い出されます。
こんなんでした。
さて、昨日一本の電話がありました。
“ナカガワです”
“???”
“○○会社のナカガワです”
“大変ご無沙汰でした。いきてましたか?”軽いジャブでご挨拶の私。
10年ぶりになります。
北見にいたときに、転勤で部屋探しをされて知り合った方になります。
帯広に転勤になって、再開となりました。私の方が先に北見を去りましたが、帯広でまた縁を持つのは想定外でした。
“どこでも良いから、帯広の部屋1つよろしく”という彼の依頼に、私が好きな部屋を1つ申し込んでおきました。
年度が変わる4月に向けて、色々な新しい出会いや変化が始まろうとしております。
沢山の村々-ネパール旅行記①
ネパールは、山岳に沢山の家が坂の途中に沢山建っておりました。上空から撮った写真ですが、山のてっぺん、登る途中、どこでも行っちゃえという感じです。日本のように地震が多くないからでしょうか。
何せ村は坂だらけの感じでした。不便に感じないんだろうかと思いました。平野が少ない山岳部が多いネパール。坂に家を作り、村ができるのは、当たり前の流れなのでしょうか。生まれたときから、これが当たり前となれば、この国の文化というか風土というか、そうなっていくんだなぁと思ったりもしました。
アルジュンさんの田舎、ヘリで2時間、山の中に入ったところでした。
ここの村から裸一貫で出て行った彼は、ビジネスの世界で成功した村の英雄ということなんでしょうか。村のおもてなしにそう感じました。
ちなみに、こんな歓迎を受けたことはありません。
ヘリコプターで降りたったところから始まった村への凱旋、村人も度肝を抜かれたに違いありません。
ヘリコプターで降り立つときには、どこからこんなに人が出てきたんだろうと思うくらい人だかりになっておりました。
降りるや否や、日本で言うちんどん屋さんのようないろいろな打楽器(民族楽器?)を持った10名くらいの集団が我々の前を歩き出しました。
実は、アルジュンさん、日本で稼いだお金の一部を、貧しくて学校へも行けない子供達のために、寄付をして学校をつくっておりました。
その学校へまずは連れて行って頂きました。
着くとすぐに子供達がグランドに集められ、いきなり歓迎のセレモニーが始まってしまいました。
何も聞いていなかった我々は少々、面食らいました。
子供達です。
そうそう、靴も買うことが出来ない子供も多く、直面する貧しさを肌で感じました。しかし、子供達の目は、きらきらしていたのが印象的でした。
そして我々。こんな感じで、民族の帽子を頂き、子供達の前で挨拶する羽目となってしましました。
ちなみに手前が一緒に行ったH先輩。結構ネパール式が似合っていました。
学校の中を見学する時間が合ったので、撮った写真をアップしておきます。
机と椅子になります。
我々が想像する学校とはかけ離れたものでした。この国は、今、ここから始まっている状態の国ってところでしょうか。
こんな現実をみると、自分たちが暮らす日本という国が、どれだけ豊かなのか、そして、普段当たり前に思っていることがどれだけ尊いことなのか気づかせてくれます。世界とは貧富の差があるものだと思う瞬間でした。
反面、貧しさから来るハングリーな精神も教えられました。もっと、もっとビジネスで成功して村を喜ばせたいというアルジュンさん。仕事をする上での大切なものを教えられた感じがしました。
彼が経営するカレーショップ『ビスタ-レビスタ-レ』。是非ご利用して頂ければと思うところでしょうか。
チャン・グンソク
昨日、ネパールから帰ってきました。
とりあえず、生きて帰ってきました。
何かの折に触れ、撮ってきた写真など、チビリ出ししていきますので、ご期待下さい
そうそう、韓国経由で戻ってきましたが、韓国-札幌の便、チャン・グンソクと乗り合わせておりました。
今回は、一緒に行った方の取り計らいでビジネスクラスの席でしたが、我々の座った席の9列前ぐらいに、その韓流スターがおりました。
ちなみに、私は興味がありませんが、千歳空港についたときに、200人くらいの出迎えファン達が待っておりました。
韓流ブームすごいですね。。。
さてさて、私の仕事の方は、今日午後から再開でした。カトマンズゥーのモードからまだ戻っておりませんが、2月の営業成績を見ながら、明日から始まる3月に向けてひとがんばりしようと思っております。
3月は、帯広に張り付いております。。
ネパール
ネパールにおります。
帯広でネパールカレーを経営するアルジュンさんと、一つ上の高校の時のH先輩と来ております。
ネパールへは、日本からの直通便がないため、大韓航空機で韓国経由でネパールに入ってきました。
首都は、カトマンドゥ。首都に住んでいるひとが70万人。発展途上の街でしょうか。
私がとやかく書くよりも、見た方が早いと思うんで、写真アップしておきます。こんな感じの街です。ちなみに、空から撮ったものです。
アルジュンさんのお兄さん、地元ネパールとインドで旅行会社を経営されている方ですが、今回の旅行では大変にお世話になりました。自らが出資するヘリコプター会社もあり、そこのヘリコプターも用意していただきました。
これです。
かなりやり手のお兄さんでしょうか。そんなこんなで、1日ヘリコプターでネパールを移動しておりました。あまり出来ない経験に、少々興奮気味でした。ヘリコプターは、初めて乗ります。かなり揺れるものかと思っておりましたが、新しい機体だったのか意外と快適で、安全な乗り物という感想です。
僕らの乗った6人乗りのヘリコプター。いくらするのか何気に聞いてみました。
予想つくでしょうか?私は、予想出来ませんでしたが、一機2億円だそうです。。
日本と地元ネパールでカレー屋さんを展開するアルジュンさんと、旅行会社を経営するお兄さん。初日の夕飯は、知り合いという建設大臣まで呼んでおりました。私も、H先輩もあまり日本ではあり得ない展開に、もしかすると、ニセ大臣で、これはドッキリじゃないかと思ったりもしました。ちなみに本当の大臣でした。。
いったいこの兄弟は何もんだろうかと思いました。
ネパールの旅より、この兄弟がどういう人たちなのか興味のあるところでしょうか。
ネパールの象徴のヒマラヤ山脈アップしておきます。
山の上に山が乗っかっている感じがします。
亀さん
昨日、鳥せいのマスターから電話がありました。いつもの明るい声の感じではなかったので、“もしかして。。。”と感が働きましたが、その通りでした。
“亀さん、ダメだった。早めに知らせておいた方が良いと思ってね”
亀さん。。。親しくさせてもらっていたオーナーさんでしたが、マスターともまた親しい間柄の方になります。
さすがに、言葉などありません。あまりにもむなしく無感情になってしまいました。語り尽くせない思いだけが、思い出されました。
“あー、逝ってしまったのか。。。もう、一緒に飲むことも、話をすることも、仕事をするしことも出来ないんだなぁ”と思うと、急に寂しさが込み上げてきました。
闘病生活する直前まで、毎晩のように一緒に飲み歩いておりました。亀さんの貴重な時間を頂いていたんだなぁと思いました。
悲しさを通り越し、無感情になるということも初めてです。
少ししてから、“仮通夜、ベルコだよ。”と、再度マスターから電話がありました.マスターには明日から、ネパールに行くことを伝えていたので、気遣って知らせてくれたのだと思いました(マスターに感謝しております)。
すぐに行った方が良いと思い、着替えずに、香典だけ持ってベルコに向かいました。
親友の方が3人と、奥さんとお姉さんがおりました。
亀さん、顔に白い布を被って、正面で横になっておりました。奥さんが、布を取ってくれました。
“・・・”
僕たちが見舞いに行ったときは、モルヒネを点滴されていたので、痛みとの戦いだったのかなぁと思います。
最後に、頂いたメール、“ありがとう、社長とも、よろしくね”というメッセージでした。少々文面がつながっておりませんでしたが、きっとギリギリの中で送ってくれた最後のメールだったんだろうなぁと思います。
家族を守り、会社を守り、僕たちとの友情を大切にしてくれた亀さん。
楽しい思い出しか残らない亀さんに、ありがとうという気持ちで一杯です。