帯広市内。
朝から大雪となりました。昨日は、20℃まで気温が上がり、春だなぁなどと思っておりました。。
今の帯広の景色。どうみてみ冬でしょうか。
今年最後の積雪になることを願いつつ、再来週は、帯広市内も桜の開花が予想されております。
春。待ち遠しいですね。
賃貸・不動産サイト
帯広市内。
朝から大雪となりました。昨日は、20℃まで気温が上がり、春だなぁなどと思っておりました。。
今の帯広の景色。どうみてみ冬でしょうか。
今年最後の積雪になることを願いつつ、再来週は、帯広市内も桜の開花が予想されております。
春。待ち遠しいですね。
年度末の引っ越しシーズンも終わり、賃貸部門は平常月に戻りました。繁忙期で疎かになっていたことや、新たに改善の必要を感じたことなど、忙しさを理由にできていなかったことを行っていこうと思っております。
実際にはどんなことがあるかというと。。
物件の写真撮り、また撮り直し。
老朽に伴う修繕の必要な物件の調査、オーナーへの報告。
空室のままで繁忙期を越してしまった物件のオーナーとの賃料の見直しその他入居促進に向けての話合い
スタッフが抱えているトラブルのヒアリング
などなど、この4月にと思っております。
いずれにしても、取引させて頂いている方と円滑な経済活動が持続できますように。。というのが本音のところでしょうか。。。
不動産売買については、雪解け後から商いが活況になろうかと思います。賃貸・不動産売買、両輪に夏場に向けて、もうひと伸び会社を伸ばしていたいと意気込んでいるところであります。
海外におりました。ブログアップしておきます。
何度かブログに登場しているネパールカレー”ビスターレビスターレ”の社長さんアルジュンさん。
4月3日から彼の母国『ネパール』に出張でした。今日帰国しました。
長かった。。。
ネパールは数えると3回目の訪問になります。正直なところ、今回、行くことについては気乗りしなかったんですが、あるイベントがあり彼から”どうしても参加してほしい”とお願いされ、来ております。
十勝とネパールのビジネス交流を目的として19名帯広からの訪問となりました。昨年12月に十勝を視察されたネパールの国会議員さんが、非常に十勝のおもてなしに感激され、今回、その議員の方々が中心となり、国家あげて招待となりました。想定外の歓迎に腰が抜けました。ちなみに、私はあまり詳しことは知らずに付き合い程度の気持ちで参加しておりましたので、なおさらでした。
聞かされていなかったのは、大統領官邸にて、ネパール大統領自らが出迎えというイベント。。。厳重なボディチェックの後、官邸に入り30分くらいの大統領との面会となりました。数年前に、ネパールの国王がクーデターで銃殺され、政治の混乱後、現在に至っております。王国から共和国になっております。
その政権の大統領は現在女性の方で、物静かな温厚な感じの方でした。
そのあと、地元の財界の方たちとのシンポジウムがありました。上の写真がそうです。柳月の田村社長、小森市議会議長が壇上でご挨拶されておりました。通訳を交えての懇親会でしたが、貴重な人脈を作ることができたでしょうか。不動産の融資に必要な地元の銀行。頭取の方も見えられていて、親睦を深めて参りました。外国人にも積極的に融資するということですので、興味のある方はお知らせください。どうしてもネパールに行きたいという方がおりましたら、ご相談頂ければと思います。。
今回のネパール訪問は、地元の政治家の方々が積極的な働きかけがあり、政治的な意味合いも強いのを地で行ってから気が付きました。日本政府から日本大使館主催の夕食会も招待というオプションも付いておりました。カトマンズにある日本大使館公邸に入る機会に恵まれました。
直接、私の仕事につながることはないのですが、貴重な経験をさせて頂きました。一緒に行った10数名の帯広の経済界のメンバーとも寝食を共にし、親睦が深まりました。
カトマンズの現地ですが、一昨年、大きな地震があり、普及のさなかでした。まだまだ道路など陥没している所などが残っておりました。立場を変えてみると、経済支援を最も必要としているタイミングなのかもしれません。
大きな歓迎。わかります。現地の写真いくつかアップしておきます。生きているうちにネパールを含めインド圏への訪問、旅行、一度行かれることをおススメします。
震災後、道路の拡幅工事を行っている最中で、この工事が終わるまで路上の土はなくならないとのことでした。カトマンズ市内。しばらくはホコリが舞う環境です。
道路の普及作業、まだまだかかりそうでした。。。
先週の風力発電用地の地上げの続きで、再び松前町に来ております。地上げ中の用地の道にあった謎の糞です。一緒に行ったスタッフは、そこで排便した記憶がないということですので、動物の糞でしょうか?
一体こいつは何の糞でしょうか?
知っている方がおりましたら、教えてください。。
いずれにしても、ウンを味方につけて頑張ります。
賃貸部門の繁忙期が終わりました。大きな事故やトラブルなく3月の異動シーズンを乗り越えました。スタッフ冥利につきます。賃貸部門に限らず、管理部門、売買部門、IT部門、間接部門のスタッフに感謝しております。
私の役割。スタッフが十分活躍できる環境、やったことが平等に評価される仕組みの会社にすることでしょうか。
モチベーションを支えるうえで大切なことだろうと思っております。
何か参考になる本はないかと書店で手に取ってみました。
スタッフにもそれぞれの人生があります。一緒に自分たちと働くことができてよかったと思える会社にしたく、改善を重ねていこうと思っております。
今週は出張が重なるので、合間に読んでみようと思っております。いいところはどんどん取り入れていこうと思っております。
帯広も雪解けが進み、春の匂いがしてきました。新年度、心機一転スタートです。
何か新しいことを始めるのもこのタイミングが多いのでしょうか。
当社のスタッフにおいては、繁忙期も終わり、おそらく宅建の資格に挑戦しようと意気込んでいるのではないかと推測しております。
ご期待申し上げております。
私?
新年度は、ハウスドゥの店舗をもっと良いところに移転させたいなぁと意気込んでおります。
あまり公にはしておりませんでしたが、ホテルの経営に携わっておりました。
そう携わってから、丸4年が経ちました。
”帯広市内で売ってほしいホテルがある”そんな依頼があり、このホテルの買主を探すことが、今思えば、ホテル業界と深~くかかわるきっかけとなりました。
ホテルが不動産投資物件とみることはなかったのですが、ホテルを借り上げて運営してくれる会社の存在を知り、認識が変わりました。
ホテルは利用するものという固定観念が、不動産投資としてみると、実に、高利回りの投資対象に変わりました。ホテルを購入し、その不動産を運営会社に借り上げてもらい収入を得る。
ホテルの売買は、アパート1棟売りと同様、扱うことができる。。そんな認識のもと、このホテルを投資物件として、我々の取引のある方に買ってもらおうという考えになりました。
ちょっと、横道にそれますが。。。
ご存じのルートイン、東横イン、コンフォートホテル、スーパーホテルなどの全国展開しているホテルチェーン会社も、借上げ運営している会社で、ホテル建物自体の所有者は別の方になっているケースが多いことを知りました(直営で所有されているものも一部あるようですが、借上げして運営しているホテルも多いということでした)。
どうやったらあんなに沢山のホテルを所有できるんだろうか?と思ったこともありましたが、ホテルには投資物件として沢山の方が所有されているということで、謎が解けました。。。
そうそう、売却依頼を受けたホテル。より高く借り上げてくれる運営会社に目星がついたので、、投資物件として当社の取引のある賃貸オーナーに所有してもらいました。
運営会社の年間借上げ賃料は、毎月200万円。高利回りの不動産投資になりました。借入返済、固定資産税を払っても、毎月の手残りはかなりの額になります。
そんな机上の計算もスタートして4か月目で、狂い出しました。その運営会社の賃料の支払いが遅れだし、未払いが発生。そして、半年ごには、頓挫という事態になりました。
オーナーへは、我々から立替で送金しておりましたが、毎月200万円の立替も、あっという間に1,000万円近くのお金が会社から出ていきました。当時創業7年足らずの我々の会社に重い負担としてのしかかっておりました。。
”ヤバイ”
リスクに気づきます。リスクどころか、私の会社もとぶかもしれない。。。
時すでに遅し。。
”倒産”するかもしれない。。
まさかこんなことが起きるとは、想定外でした。
”はまったなぁ”
買って頂いたオーナーに迷惑を掛けることはできないなぁという気持ちと200万円の立替を何とかしなくてはならないという気持ちとで少々滅入っておりました。オーナーには、現状をお話しし、オーナーが毎月、持ち出しの出費がない最低限の補てんはしていくことを約束し、毎月の返済分と固定資産税分、合わせて130万円として、仕切り直しとなりました。このホテルの借り入れの返済が終わるまでの8年の約束。
”ホテルを回すしかない”と腹を決め、自分たちで運営することなりました。
やったことのないホテル運営。
お客様第一とか、世の中のためとか、そんな高貴な動機などまったくなく、ただ毎月130万円のお金のためだけの目的に始まりました。
幸い、破綻した運営会社で雇われていたホテルのフロントとベットメイクのスタッフは、そのまま残ってのリスタートとなりました。
そうはいっても、世の中そんなに甘くはありません。。
130万円の利益どころかさらに、毎月、200万円前後の持ち出しがでるという事態になりました。
12月、持ち出し。
1月、持ち出し。
2月、持ち出し。
”まじめにヤバい”
あぁ。。翌月越せるだろうか。。
立て替え分と、食い込み分で、追い込まれておりました。会社ってこんなふうに潰れていくのか。。。と諦めの境地で思いながら、ホテル経営に際して、次の策もなく、ストレス全開で時間だけが過ぎておりました。
そんなタイミングで、2月にフロント業務での使い込みが発覚。ダメなときは全てがダメなもんです。怒る気持ちにもなれず、解雇させるも、次のスタッフがなかなか求人してもこない。。
“窮すれば鈍する”
正常な判断。。できません。
そんな時、1本の電話がありました。
“社長、朴です”
そう、10か月前に私を訪ねてきれくれた人からです。話すと長くなるので、朴のことがわかる以前書いたブログリンクしときます。そんなつながりのある人です。そのブログに書かれているようにメールの連絡があった後、家族を連れて日本に移住を覚悟し、僕のところにあいさつに来られました。東京で韓国の銅管を流通させる仕事で独立されると自信に満ちた顔で再会となりました。10か月経ってどうなっているのかなぁと思っておりましたが、電話が来たので
“朴、銅管の仕事はうまくいっているのかい?”
“••••••••••”
うまくいっていない様子を察しました。
“朴、今、何の仕事して生き延びているんだい?”
“東京で運転手してる”
“そうか、食えてるんだったいいな”
“イケハラ、そうなんだけど••••”
家族には心配するので話していなかったようでしたが、知り合いの韓国人が経営するデリヘルの運転手をして、何とか生計を立てておりました。
そっちの運転手か。。。まぁ、そんな人のことを心配するほど、自分にも余裕はなかったのですが、私同様、厳しい状況でした。
“いつまでもこの仕事はしたくないなあ”という朴の嘆き。
人員不足で困っていた私。
渡りに船でしょうか。
”朴、一緒に働かないか”と私。
朴にはホテルの立て直しのこと、働くスタッフがいないということを話し、この事業の再生を手伝ってくれないかとお願いしてみました。
私は、自分本業の不動産に専念して、ホテルの経営を支えていく。朴はホテルの運営の再建していく。ホテルのことは、人事含め全て任せるということを約束し、仲間に加わりました。
きれいごとなどありません。
”全てはお金のために”
このホテル運営における我々の経営理念です。
朴は、粗削りにバッサバッサ、経費の削減行っていきました。スタッフの給料の減額、パート職員の方の労働時間短縮、取引業者への依頼する様々な単価見直し交渉、削れるところは削って、できる限り支出を抑える体制にしておりました。そうするしかなかったのが追い込みの入った我々の現状だったのかもしれません。
”全てはお金のために”
義理、人情など全くありません。
数か月後、毎月の持ち出しがなくなります。
V字回復。
かっこよく言うとこういうことになるのですが、強引に出ていく経費を最小限にした結果、そうなっただけでした。
漫画のような話ですが。。。そんなことがありました。
それから4年経ち、世の中の風向きも変わります。
現状のままでも、ホテルの経営がまわる状態の上に、いい風が吹き出します。
インバウンドで、訪日外国人の増加。我々のホテルにも外国人の利用が増え出します。団体の中国人の利用。海外から個人旅行の利用稼働率も年々上がりました。数年前の状況がうそのような状況となっております。
昨年、オーナーの事情などもありホテルを違う方に所有させ、その後自社での保有としました。
ホテル業界、全国的に活況です。帯広市内のビジネスホテルも、全てのホテルが高稼働しております。また、ホテルの売り買いも盛んです。帯広市内でも、この3年くらいの間に、少なくとも大きなホテル4つは売買されました。
そんな流れの中で、昨年、”ホテルを売ってほしい”。。そんな依頼がありました。
そのままでも、利益が上がる収益物件として回っていましたので、迷いましたが、本業の不動産業を強化しようと思い、ちょうど1年前、売却含め子会社にしているホテル運営会社の譲渡を検討しておりました(ちなみに、初期に食い込んだ運転資金の立替え、改装やテレビ、ウォシュレット、カーテンなどの入れ替え費用を差っ引くと、売却・譲渡により利益はありません。ただ会社が潰れることなくバトンをつなぐことが出来てホッとしております)。
それから1年。紆余曲折ありましたが、本日、子会社の譲渡契約を交わしました。このビジネスから離れる寂しさもありますが、私の役割もここまででしょうか。
朴との共同事業も、引き渡しまでまだ少しありますが終了となります。
朴も、新会社の社員となり、それぞれの門出となります。
掲げてきた2人の経営理念。『すべてはお金のために』も、残すところあとわずかで消滅となります。。
この薄っぺらい経営理念のもと頑張ってきましたが、皮肉にも、僕たちに残ったものは、お金ではなく、苦境を乗り越えたちっぽけな自信と、その中で経験させてもらった数々の思い出だったでしょうか。
私が携わった間、ホテルを支えて頂いた沢山のスタッフの皆様にも感謝しております。
また、お金を使い込んで解雇したスタッフ。家賃を踏み倒して行ったホテル運営会社。想定外の出来事に、我慢強さを教えられました。食い込んだ分は、未熟な我々には必要な授業料だったと思い、次なる山を目指します。
3月31日。
本日、ホテル経営からの卒業です。
年度末。送別会など活況でしょうか。
新年度の移動、賃貸お部屋探しも、ピークを越した感じがしております。
社内では、契約をされた方の入居の立ち合い、転勤される方の退去立ち合いがメインとなってきました。。朝早くから遅くまで業務を遂行してくれているスタッフに頭が上がりません。
ミスがなくて当たり前の業務を、ミスなく遂行する。。。契約書類の確認、入居される部屋の事前確認、色々な時間の約束確認など、確認業務が続きます。
そんな多忙なシーズンもあと、数日というところでしょうか。
平常月よりも多忙なスタッフに、交通事故だけは気を付けてほしいなぁと、願っております。
新年度。迎える4月は、3月休みを返上した分、十分な休日をとって、心機一転業務にあたってほしいと思っております。
同行しているスタッフが開口一番”社長、食中毒になりませんでしたか?”
そう、スタッフが昨夜食中毒で大変な思いで夜を明かしたという話を聞き、まだ本調子でないと申し出がりました。
私も昨夜多少の腹痛がありましたが、朝には治っておりました。
そんなにきつそうな感じでなかったので”とりあえず松前に向おう。。途中でドラッグストア開店する時間に薬を買おうか”と返事をして、2日目スタートとなりました。
食中毒の話ですが、2人とも原因かわかっておりました。
昨日の昼食。
多分、そうだろうなぁと確信しております。。
昨日の昼食、壁に貼ってあるメニューに”魚定食”とあるんですが、そいつを2人とも注文しました。
魚はホッケかサメのフライ、いずれかでしたが、私はホッケ、彼はサメを頼みました。
老婆1人でやっている食堂でした。とても親切な方でしたが、出てきたフライに問題がありました。
ホッケのフライ。口に入れてみて、思わずその臭さに喉を通すことができない品物でした。スタッフに”これ食べれるか?”と私。
なんと、彼は口に入れよく噛んで飲み込んでおりました。飲み込んでから”社長、これ腐ってますね”とコメント。
そうだろうと思いながら、”それにしても、よく噛んで喉通せたな”と、彼の勇気ある行動に感心しておりました。
多分これが食中毒の原因だと断定しておりました。それと、彼が注文したサメのフライも怪しい感じがしました。どっちも古かったなぁ。。。
そんな話をしながら松前を目指しましたが、彼の様態が悪くなっていきました。具合の悪い状態が半端なくなってしまい、福島町と通った時に内科の病院があったので、そこに飛び込むことにしました。
”急性食中毒”でした。点滴を受け、これ以上業務は遂行できないという判断のもと、函館に引き返すことにしました。そして、体あっての仕事なのでしっかり治してから出直した方がいいなぁと判断し、そのまま帯広に帰ろうかということになりました。
彼にホッケのフライを食べさせた責任を感じつつ、1週間後、体調万全にしてリベンジしに来たいと思っております。
横道にそれますが、写真は今回、引き返した福島町にある”横綱千代の山、千代の富士記念館”です。中には入る余裕はありませんでしたが、次回体調万全のときに入ってみようかなぁと思っております。
一昨日から、当社のスタッフと2人で函館にきております。以前のブログで紹介した40名の地権者が共有されている松前町の土地。その土地の地上げが目的になります。共有名義になっている全員の売却意思を確認。。。行方不明の方がいなけらばいいなぁと願いながらのスタートとなりました。
マイナスなことは考えずに、ひたすら訪問するだけです。
今朝7時半に函館のビジネスホテルを出て松前町に向いました。9時半くらいに現地に到着し、その土地を確認したのち、1人目からスタートしました。
1人目。いきなり、留守でした。。そうか。。こういうパターンもあるのかと思いつつ、2人目、3人目と次々と訪問していきました。
休みなしで夕方4時まで歩きました。結果、本日は半分の20人訪問しました。留守の方が4人。お会いできたのは16人。16人のうちちょうど半分の8人が他界されていておりました。他界されていた方については、身内の方とお話しし、相続対象の方を確認してきました。その場合、相続人すべての方の同意が必要になるため、土地の売却に際して、同意を必要とされる方が増えることになります。
一番強烈だったのは、土地の所有者が他界。その奥様も他界。その所有者のご子息の方が9名。さらにこの9名のうち6名が他界。この場合、生存されている3名と、他界されている6名それぞれの相続権者(それぞれの奥様とご子息)全ての同意が必要になります。
想定はしておりましたが、思う以上に他界されている方多く、その場合、相続人が複数になってくるため、最終的に100名以上の方の同意が必要になってくることが予想されます
今回は日曜日までの滞在の予定です。まずは、ご本人もしくは身内の方全員にお会いし、できればなぁと思っております。
僕たちの売却依頼に対して、みんさん”是非売ってしまいたい。全員の同意を取りまとめてほしい”という声がほとんどでした。
そんな地権者の皆さんの言葉を聞きながら、期待に応えたいと思っております。