昨日、スタッフに運転してもらい、函館に出張中、事件が起きてしまいました。私は助手席でうとうとしておりました。
場所は高速道路の長万部IC。気がつけば、スタッフが覆面パトカーに連行されておりました。
24キロオーバー。15,000円の罰金。
“捕まっていなければ、交通事故で死んでたな”と、この状況を素直に受け入れ、安全運転で函館向かいました。
ちなみに、千歳から長万部まで、我々の他に2台、御用となっておりました。
安全運転、心がけたいものです。
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昨日、スタッフに運転してもらい、函館に出張中、事件が起きてしまいました。私は助手席でうとうとしておりました。
場所は高速道路の長万部IC。気がつけば、スタッフが覆面パトカーに連行されておりました。
24キロオーバー。15,000円の罰金。
“捕まっていなければ、交通事故で死んでたな”と、この状況を素直に受け入れ、安全運転で函館向かいました。
ちなみに、千歳から長万部まで、我々の他に2台、御用となっておりました。
安全運転、心がけたいものです。
頻繁ではないのですが、使わなくなった家や土地の買取相談、あるもんです。
当社に相談に見えられるのは、お客様の紹介であったり、数社相見積もりの1社だったり、きっかけはもろもろです。。。
買取のご相談については、お客様の希望通り極的に買取はしたいと思っております。実際、買取になると、売れ残るリスクも考慮するため、相場の価格よりも若干低い金額提示になりますが、それでもできうる限りの値段提示をさせてもらっております。
買い取り資金については、我々も潤沢な資金がある訳でもないため、金融機関から資金調達をして、買取しております。
金融機関さんからの枠内の金額であれば、即日買取致します。。
珍しいお札、取引のある業者の方が持ってこられました。見せてくれただけですが。。。昭和5年~数年間使われていた100円札です。
コレクターの間では、この100円札、2000円くらいで売買されているようです。ちなみに、この100円札が流通していた昭和5年、お酒1升が1円くらいだったようですので、この100円札で、100本買えたくらいの価値になります。
カレーライスが10銭だったので、1000杯分になります。
どうでしょうか?今、お酒1本2,000円とすれば、100本買うだけの価値でいうと20万円くらいの価値だったんでしょうか。カレーが1杯300円だとすると、30万円。今の価値にすると、当時の100円は、20~30万円くらいの価値でしょうか。
幅は1万円札と同じで、高さは2倍くらいあります。当時の財布は大きかったんでしょうね。
戦時中に人々の財布の中を旅した100円札を眺めながら、あれこれ想像膨らませながら、日々の問題から現実逃避しております。
5月も今日まです。先日ゴールデンウィークだったなぁという感じでありましたが、早いもんです。
短い帯広の夏。いよいよでしょうか。
四季折々の楽しみあろうかと思いますが、夏の楽しみあるでしょうか。仕事は置いといて。。。
私?
スポーツで汗を流すことが楽しみの一つでしょうか。走ってよし。自転車乗ってよし。ゴルフ場の芝生の上を歩いてよし。。
明日から6月。
なるべく外に出ていい汗をかきたいと思っております。
先日、横浜から、同じアパマンョップの加盟店オーナーで、2店舗運営されている社長さんが帯広に来ておりました。
帯広の投資物件を購入することが目的で来ておりました。首都圏に比べると、割安感がある北海道エリアの不動産投資物件。1棟所有することになりました。
地元の方ではないため、地元の金融機関さんからの融資については、難しかったため、このたびの購入については現金での決済となりました(現金で買えるんだから、さすが首都圏で不動産業をされている社長さんでしょうか。。ちなみに、私よりも若い方です)。
ただ、2棟目以降の継続しての購入も検討されているため、次回からは地元金融機関さんからの融資を受けるべく、地元に子会社を作って、帯広で経済活動をすることになりました。
賃貸物件を所有して貸す会社。これからスタートです。夏の時期は、ゴルフクラブもって涼しい北海道に来ますといって、横浜に戻られました。
社業を通じて帯広と関わり合いを持つ方が増えていく。。。地域貢献のひとつの形でしょうか。ガンバリマス。。
腰痛を患って5年。診断してもらった結果は、軽度な椎間板ヘルニアでした。腰痛を経験した人はわかると思いますが、この激痛、生活に支障をきたして、まともに生活できなくなります。仕事にも影響を与えます。。私の腰も、都度ビリビリしておりました。。こいつを何とか治したい。。治さないとまともな生活ができない。。。椎間板ヘルニアとの戦いが始まりました。。ひどかったころのブログ懐かしいです。。マジメに痛かったんです。。
この痛み、病院の先生から、腰の骨の間の軟骨がすり減って、その影響で神経に当たって痛みを生じると聞かされました。無くなった軟骨が復元することは、手術でそれに代わるものを補強するか、金具を埋め込んで補助するしかないと聞かされておりました。手術については、いつでもやってくれるようでしたが、治るのは半分くらいの確率で、場合によっては悪くなる場合もあると聞かされていました。。これ以上痛みが続くようであれば、最終的には、そうしようかなぁと覚悟しておりましたが、悪化したら最悪だなぁと、モヤモヤしておりました。毎日繰り返される痛みにその解決策を模索しました。頼るものは、本しかありません。。
手あたり次第読んでみました。
そして、少しでもこの痛みを軽減できればという思いで、出来そうなことをピックアップして、3年間以下のことを実践してみました。。
1.体重を落とすこと
2.腹筋、背筋をきたえること
3.痛い腰をねじること
まず体重。当時90キロくらいの肥満体質でした。この重みが腰に負担掛けていると仮定し、あった体重を70キロまで絞りました。方法は、毎日走りました。帯広の森のトレーニング室で、5キロ~8キロ、時間にして30分~1時間。同時に食生活も改善しました。甘いもの、間食は極力控えました。米を玄米にし、摂取カロリーを減らしました。そして夜の接待もでき得る限り最低限にしました。こんなことを続けながら20キロ減っておりました。
次に背筋、腹筋。この筋肉が弱くなると腰への負担が増えるということを知り、体重を絞った後に、走った後に筋トレを20分程度加えました。トレーニング室にある背筋と腹筋を強化できそうなマシーンを2台選び、それを続けました。
そして、腰をねじること。痛んでいるところは筋肉が固くなっていて、可動性が悪くなり、痛みを増幅させているということも知り、柔軟性をつけるために、相撲さんが良くする股割というストレッチングとゴルフを始めました。
過去のブログを見ると、スタート日は2012年6月22日でした。
ひとつ分かったことは、5年間続ければ、腰痛は完治するということ、それと、当たり前だと錯覚していた痛みのない生活が、どんなに素晴らしいか再認識しました。
腰痛については、少々うんちく語れますので、お悩みの方は、推奨する本、お教えいたします。。
金子修さん。
平成16年、創業した時に、たまたま私の事務所の横で保険の代理店をしていたことがきっかけで、知り合った方です。私よりも年は10歳年上。東京出身。奥さんが帯広の方だったので、縁があって帯広に戻ってきたタイミングでした。
私も、北見から帯広に戻ってきたタイミングで、お互いにこれからというときに、同じビルの隣同士のめぐりあわせでした。共栄ビル。家賃が28,000円。私同様、金子さんも事務所家賃が安かったのでここへの入居でした。
私も金子も、従業員を雇う余裕はなかったので、暇なときはお互いの事務所を覗きあい、お互いいないときにお客さんが来たときはフォローしあう関係でした。事業を始めてから1年経ち、私の仕事の方が先に、人手が必要になってきたので、金子さんにお願いして、私の会社に加わってもらいました。昨日のような出来事のように記憶しておりますが、あれから13年の年月が過ぎました。
気が付けば、彼も59歳。髪の毛も随分白くなりました。
彼の人生の貴重な時間を、会社のために費やしていただき、感謝しております。
そんな彼から、生まれ育った東京に戻って、友人と不動産会社をスタートさせたいという相談がありました。
彼が望むなら、自分の信じる道を進むことに私の意見などありません。年齢を考えても頑張ってあと10年くらいでしょうか。。一度きりの人生なので、思い切りやったらいいというのが私の本音です。うまくいかなかったら、いつでも戻って来いよとは、今まさに事業を始める彼にいうのは失礼かなぁと思い、言葉にしておりませんが、不測の事態があった時には、彼から受けた13年間のお礼をしたく思っております。
13年間、一緒に働いてきた仲間が去っていく寂しさはありますが、東京でひと肌あげて、帯広に凱旋してほしいと願っております。
陰ながら応援しております。。
ハウスドゥの勉強会があり、私と他2名の加盟店のオーナーと京都で勉強しておりました。
講師の先生、西中 務先生。
大阪の弁護士さんです。とても、有益なお話の内容でした。今回聞かせて頂いたことは、その先生が出版されている本にすべて書いてありました。
とても良い本でしたので紹介します。一読する価値ありです。色々な気付きを与えてくれました。
今日、友達からの誘いがあり昼から上士幌のゴルフ場におりました。
私の実家も上士幌なので、少し早く家を出て実家に寄っておりました。親父がいなかったので、”親父は?”と聞くと、お袋から”父さん、今、亡くなった婆さんの家の物置で味噌作っているわ。手伝っていくかい?”
そう、もともと親父もお袋も農家の出なので、味噌つくりは幼いころからやっていた作業のようですが、農業と無縁だった私にとっては、”味噌って作れるの?”という感覚で、興味本位もあり、”手伝っていくわ”と返事をしておりました。
毎年、親父の作った味噌をもらって、食べ続けていましたが、作るのを見るのは初めてです。親父のいる物置を覗いてみました。
親父も、亡くなった爺さんから味噌の作り方を教えてもらって、ノートに細かく、豆の分量、麹の分量、塩の分量、その他細かいことが書き留めて覚えたとのことでした。
物置の中。昭和。。それも自分が生まれる前のものだろうなぁというものがほとんどでした。それもそのはず、亡くなった、味噌作りの道具は、お爺さんから引き継いだものを使っているため、とってもレトロのものばかりでした。唯一、大豆をつぶす機械だけは、昭和の後半のものかなぁというぐらいでした。
見てみますか?
こんな感じです。。。色々工程はあるのですが、豆を煮て、潰して、麹と塩、若干のお酒を混ぜて、容器に入れれば終わりです。
結構、単純です。分量は、爺さんから教えたもらった親父のノートをみればいいだけです。
親父が、ポツリ。”今年が最後かなぁ”
85歳になる親父も、体力の限界のようでした。来年は、ノートを見ながら私がこの物置の中で味噌つくりしているかもしれません。
ゴールデンウィーク、如何お過ごしでしょうか?
今日の帯広は、29℃まで気温が上がり、春を飛び越えて、いきなり夏モードになった感じがしました。帯広市内にもようやく桜前線上陸。桜が満開です。
日本列島長いです。
私には連休は関係ありませんが、タイヤ交換と管内での初ゴルフしようかなぁと思っております。。。