1通のメール

今日、差出人がハングル語のメールが届いておりました。
迷惑メールかなぁと削除しようと思いながら何気に開けてみて、驚きがありました。
こんな内容です。 
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池原さん!
お元気ですか。
覚えてくれるでしょうか。朴です。^^
約10年前の記憶ですが。。
会社を経営されてるようでなにより嬉しかったです。
頭の中ではいつも考えておりましたが。。なかなか実践できず時を流すばかりでふっと「会いたいな~」と強く思った時インターネットで探してみたところなんと「経営者」になっていることがわかり驚きながらすごく嬉しく思ったんですが
なぜかなかなかメールを書くのに戸惑いもありましたが嬉しい気持ちを伝えるためメールを書いております。
遅いですがご立派に成功されたこと本当におめでとうございます。
私は現在韓国の銅管貿易会社に勤めております。
いつか機械があれば一緒にビール飲めたらいいですね。
それでは。。^^
朴より
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以前ブログで書いたかも知れませんが、朴(パク)さんと、今から15年前に一緒に会社を作ったことがあります。
パクのPとイケハラのIのイニシャルを取って、有限会社PIエンタープライズと名付けた会社でした。
東京の新小岩。事務所の家賃が安かったのでそこにしたのですが、自分が29歳、パクさんは25歳くらいのときでしょうか。
この会社は、4ヶ月持たずして、一文無しになり解散となりました。
何をやろうとしていたのか恥ずかしすぎて書くに書けないのですが、若気の至りで割愛します。。。
1円すらのお金がないという経験は、先にも後にもこの時が最初で最後でしょうか。丸裸で東京で浮浪者っぽいことをした頃も、過ぎ去りしは全て美しい思い出として記憶に残っております。
朴は韓国に戻り、私は北見の社長(のちに私の師匠になる方で、この会社の設立時に支援して頂いた方です)に拾われ、別れ、その後それぞれの人生を歩んでおりました。
韓国の話題の時は、〝朴、元気でやっているかなぁ〟と思い出しておりましたが、お互いに連絡が取れずにおりました。
私から、こんな返信しました。
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朴ジェサン?
元気か。
あのあと、僕の方は、いろいろなことがあって、苦労しましたが、なんとか不動産会社とネットの会社で生計を立てています。まだまだ志半ばですが、何とかやっております。
朴と夢を持ってやったころが懐かしく〝朴、元気かなぁ〟と韓国が話題になるたびに思っていました。
連絡を取るにも、取れずいました。
メールありがとう。
うれしいよ。
あのときのチョビヒゲのところいるのかい?
朴、電話番号と住んでいる住所、会社のHP、教えてください。
会いたいな。東京はちょくちょく来ているのか?
俺たちの宝物の思い出を添付します。
何かやりたいなぁ。
ではまた。健闘を祈る。
池原
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写真の向かって右側が朴さんです。(15年前、創業した時の写真ですが。。。。)
ちなみに、チョビヒゲって、当時韓国で、会社を経営されている朴さんの知人で、チョビ髭を生やしていたので、我々の間で、そう呼んでいた方です。そこに、再就職すると言って、朴さんと別れました。
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封印されていた過去の切ない思い出が、蘇ってきました。
ダメになって、解散する時は、情けないもんです。
その後、お互いが自分の生計を立てるために時間を費やしていたかと思います。
1通のメール。
クリスマスイブに贈られてきた思い出に、メリークリスマス!

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